丸の内の
三菱一号館が気になっていた。
明治時代にジョサイア・コンドルが建てた三菱のビル、これは40余年前に解体されてしまったそうだが、それを三菱がこのたび復元して、美術館にしたものだ。
いま、「カンディンスキーと青騎士展」というのをやっているので、行ってみた。
「青騎士」とは、20世紀の初め頃、ミュンヘンを拠点にしていた芸術家たちの活動グループで、その中心にカンディンスキーがいた。
カンディンスキーといえば、「コンポジション」のようなカラフルなイラストみたいな絵を真っ先に思い出すのだけれど、今回の美術展は、それより前の、具象から抽象に移行する過渡期のころの作品が中心だった。
これが良いのだ。特に、愛人のミュンターと暮らしていたムルナウという町でなした油絵の数々。例えば、この絵とか。
「コッヘル―まっすぐな道」
圧倒的、というものは、この世にあるのだなあ、と。
書道の北村先生から教わった絵画の楽しみ方のひとつに、「落款を見る」というのがある。その話を聞いてから、つい、画家のサインを見るクセがついてしまった。
カンディンスキーのサインは、きっちりときれいで、几帳面。愛人のミュンターのは、丸くてぽわんとして、なんか乙女っぽい。
そうやって見てゆくと、カンディンスキーにはサインの入っていない絵がかなりあった。几帳面と思われるカンディンスキーがサインを入れていない。これはもしかしたら、まだ完成していないということなのではないだろうか。カンディンスキーは、この絵にまだ手を加えるつもりだったのではないか。
画家の死後、家族や弟子が画家の落款を押して絵画を世に出してしまうことが、ままあるという。サインを真似るのはむずかしいけれど、印章ならば他人でも押せる。
でも、そうやって、他人が勝手に落款を押して世に出すことは、画家にとってはこの上なく不本意なはずだ。サインのないことが、その画家のサインであることもある。
署名のないカンディンスキーの絵を見ながら、そんなことを考えた。