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あわ雪

夫のバースデイにかこつけて、松阪牛を食べに行くことになった。

夫は松阪まで行って食べようというのだが、四日市でも食べられるし、わざわざ片道1時間余り高速に乗って、松阪で食べる意味がどこかにあるわけ? 車で行ったらお酒も飲めないよ? それでもいいの? 私はどっちみち飲まないからいいんだけどさ。
などと言うと、いや、松阪で食べるのがいいんだという。しかも、ステーキじゃなくてすき焼きを食べるという。

なるほど。正直、最近ステーキを食べると、そのあとしばらくへこたれた胃と付き合うのが大変だったりするので、すき焼き、いいかもしれない。松阪は行ったことないしね。

と、いとも簡単に流される。ま、知らない場所に行くの、基本的に好きだし。

ところが、大切なことを忘れていた。私は最近、高速が怖いのだ。とくに、追い越し車線に移ってものすごいスピードで追い越しをかけるときは、助手席の斜め上にある手すりにつかまったまま固まってしまう。

自慢じゃないが、かつて私は車の運転が大好きだった。都心に引っ越すときに車を売ってしまったので、ここ10年くらいは運転をしていないが、たぶん今でも好きだし、運転技術も衰えていないと思う。
それにひきかえ、夫は運転があまり好きではないし、正直、私からみると危なっかしい。そんな夫の運転で高速に乗るのが、怖くて怖くてしょうがないのだ。
といって、夫の通勤用の(会社名義の)車を私が運転するわけにもいかない。

というわけで、松阪の地面を踏んだときの「ほぉぉっ」とした安心感が、松阪という街の印象にまっすぐ結びついてしまったかもしれない。

本居宣長が生涯暮らした場所だったとは知らなかった。江戸住まいの賀茂真淵に私淑したが、ほとんど松阪を動かず、住まいも移さず、通信教育で学んでいる。もちろん『古事記伝』もここで書いている。

またここは商人の街で、三井発祥の地である。尾張が近いせいか、楽市楽座もあったという。商業が栄えたのには、海が近く「お伊勢参り」の途上にあたるという土地柄もあったのだろう。

でも、一番気に入ったのは、ここ。
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「御城番屋敷」という。詳細はこちらでご覧いただくとして、1863年に建てられたこの建物が、かつてそこに住んでいた紀州藩士の子孫によっていまでも保存・管理され、さらに驚いたのは、そこで生活している人がいる、ということ。
間取りはこんな感じ。
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表から裏庭を望む。
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表と裏に小さな庭があって、開け放すと風が通って涼しいこと間違いなし。冬は寒いかもしれないが、それは日本家屋では当たり前のことである。

現在残っているのは19戸で、入り口に一番近い1戸は松阪市が観光客用に公開している。さらに、入居者募集中の看板が掛かっていたのが1戸。うーん、借りたいかも。

このあたりは、松阪城にまつわる文化財建造物がいくつかあるのだけれど、ふつうに人が生活している部分と繋がっていて、お互いの風景がぶつかり合わず、うまく溶け込んでいる。

裏手にある松阪工業高校創立時から残っている「赤壁」の校舎。
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木造二階建てのお宅。
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ずいぶん長い間日々刻々と変わる風景を見ていたので、こんなふうに歴史と街がうまく調和しているのを見ると、つい気持ちが高ぶってしまう。
好きなんでしょうね、そういうのが。

で、すき焼きを食べたのはこちら。「牛銀」。
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肉だけではなくて、雰囲気も一緒に食べるということなんだろう。肝心の牛肉は柔らかくて美味しくて、あっというまに溶けてなくなってしまいました。まるで「あわ雪」です。

美味しいものはひとくちでいい、というのが最近の感慨なので、私は充分だったが、夫は物足りなかったようだ。高速を飛ばして帰る車の中に夫の物足りなさが充満していたのは、まあしょうがないとして、相変わらず怖いのはいかんともしがたいのであった。
by shino_moon | 2011-12-04 13:17 | | Comments(0)


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