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マネーボール(2011年)

面白かった。面白かったのだが、明かりがついて背伸びをしながら「ああ、面白かった」といい、劇場をあとにするには、なにかすっきりしないものが残る。そういうものが残ってもいいし、残ることがその映画の映画たる意味だったりすることもあるのだけれども、この映画はそういう映画でもない。

オークランド・アスレティックスのGMであるビリー・ビーン(プラッド・ピット)が、データに基づいて野球や選手を分析する「セイバーメトリクス」という方法を用いて、貧乏球団を再建し、勝利を重ね、プレーオフに進んで負ける話である。

つまりこの映画は、野球ではなくビジネスの映画である。選手ではなくGMを描く映画。大リーグというスポーツビジネスがいかにして成り立っているか、ビリーがどんなに苦労をしてアスレティックスを再建していったかが描かれていて、その展開はサスペンスフル、まさにワクワクドキドキの連続で、文句なしに面白い。

もちろん、その途上でビリーの葛藤は充分に描かれる。新しいことは、ほとんどの人々にとってしばしば不快なことだ。旧弊な監督やベテランスカウトの嫌悪の中で、孤立無援のビリーが自分の信念に従う姿は魅力的だし、爽快でもある。

でもこの映画は、選手の心には踏み込まない。選手は戦力に過ぎない。世間的にはポンコツでも戦力と見なされたらOK、成績が悪くなくても、コストパフォーマンスが悪いと見なされたら容赦なくトレードに出される。ビリーが心を通わせるのは、他球団から「セイバーメトリクス理論」ごと引き抜いた補佐のピーターだけで、だから、ビリーとピーターのふたりのやりとりにのみ、心を割った会話がある。

と、こういう展開を背負ってきて、最後に、球団に残るかレッドソックスからの引き抜きに応じるかというビリーの決断が、自分の選手時代の記憶で決するというのはいかがなものか。ビリーは選手の心を忖度することなく、戦力だけを見てきてこのシーンを迎えているのだし、観客だって、選手というものにほとんど感情移入をしないで(できないで)ここまで来ているのだ。それを、今ここで選手時代の忸怩たる思いを持ち出されても、説得力がない。というか、報酬が目的ではないことは、観客は分かってるってば。なんか、もういいじゃん、過去を引きずらないで、今どうしたいのか、今の気持ちで決めたら? と思ってしまった。もっとシンプルでいいんじゃないの?

あくまで、私の場合は、ですけど。

それにしても、大リーグ選手というのは、シーズン途中でも簡単にトレードを宣告され、その日のうちに荷造りをしてトレード先の球団へ行き、出場しろと言われたらその日からでも出場しなくてはならないものなのか。まるで季節労働者、しかも、チームや土地やその他もろもろ(空気のようなもの)に馴れるための時間も与えられず、結果を出さなくてはならないのだ。なんと過酷な。即戦力、即応力に優れていることが「プロ」としての能力と見なされるというわけだ。

即戦力、即応力を重んじる傾向は、スポーツに限らずあらゆる局面で広がっている。そのために日頃からしっかり自分を鍛えておきなさい、ということなのだけれど、芽の出る時期というのは人によってさまざまだし、即戦力はまだしも、即応力というのはある程度性格に左右されるような気もする。

大リーグの裏側を見る面白さはありつつも、結果を急ぐあまり、いろんな人がいることを拒否するような世の中にはなってほしくないなあ、と思うことしきり。あ、そういう意味では、選手の潜在能力を生かすというこの「セイバーメトリクス理論」は、やはり画期的だったのかもしれない。いつも自分を厳しく鍛える、強靱な精神の持ち主ばっかりでは、正直疲れるよ?

そんなことを感じた映画ではあった。

監督:ベネット・ミラー
出演:ブラッド・ピット、ジョナ・ヒル、フィリップ・シーモア・ホフマン、ロビン・ライト、クリス・プラット
by shino_moon | 2011-12-10 12:53 | 映画(マ行) | Comments(0)


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