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読書日記vol.1

久しぶりに読書日記を。

・『共喰い』  田中慎弥
この小説を読むと、自分がいかに、草食男子の蔓延するらしき都市の「脱生殖」社会の、さらにその表面しか報告しない情報に囲まれているかということを、深く感じさせられた。暴力的にしか女を愛せない父。父の血の系譜を恐れつつ、父とその情婦と一緒に暮らす息子。義手を器用に使いこなし、川辺で魚屋を営む母。その汚れた川で育つ鰻はエロスの象徴として、身をくねらせながら聖と俗を行き来する。
「目的」とか「効率」とかいったものから思いっきり背を向けて「生きるために生きる」人々の、ねばりつくような熱気に圧倒された。
青山真治の映画を先に見たが、どちらも素晴らしい。


・『手紙、栞を添えて』  辻邦生+水村美苗
辻邦生と水村美苗の往復書簡による文学論、というか、文学談義。『宮本武蔵』からスタンダール、ドストエフスキー、二葉亭四迷、ラディゲ、谷崎、荷風、『若草物語』、『嵐が丘』等々、古今の名作の数々を語り尽くす。むずかしいことはなにも言っていないが、文学体験から言語や社会を考察する言及のあれこれが、文句なく面白い。
おもに水村美苗の投げかけるテーマを辻邦生が受け止めるという応酬なのだが、いかようにも受け答えられる辻邦生の教養の深さに感動した。

水村美苗といえば―――


・『本格小説』  水村美苗
読んだのは3年ほど前だが、ここ数年に読んだ長編小説の中で最も面白かったと言っても悔いない小説。エミリ・ブロンテの『嵐が丘』のモチーフを使い、舞台を戦前戦後の日本に移して、ダイナミックに物語の面白さを堪能させてもらった。
本来は「本格小説」というジャンルの「メタ小説」になっていて、「本格小説」のひとつのモデルとして『嵐が丘』のモチーフを使っているのだけれども、「メタ」としてだけでなく、ふつうに小説として面白い。
この人にはほかに『私小説』『新聞小説』というタイトルの小説もあるが未読。そのうちに読みます。


・『高台にある家』  水村節子
水村美苗の母堂による自伝的小説。駆け落ちのように一緒になった堅気の父と、父よりはるかに年上の元・芸者の母の庶子として生まれるが、思春期に父母が離別。愛人を入籍した父の近所に母とふたりで暮らすという歪な関係のなかで女学校を卒業する。
「高台にある家」というのは、父方の伯母一家が住んでいた横浜の家で、それは節子の憧れの象徴でもあった。
3度結婚した母は5人の子どもを産んだ。節子は母の最後の子どもで、ことあるごとに、堅気の父方と水商売の母方の親戚間を行き来しながら青春時代を送ることになる。行き来はするがそのどちらにも属することのできない運命の数奇さが、逆に、「日本」に固執することから自由であり、水村美苗のような極めつけのインテリを育て上げる土壌になったのかもしれない。
まったく、すごい人生があったものだ。


・『嵐が丘』  エミリ・ブロンテ
もう40年以上前に読んだきりだが、『手紙、栞を添えて』を読んで、あらためて読んでみたくなった。
40年前に読んだのは、中村佐喜子さん翻訳の旺文社文庫版(1967年刊)。せっかくだから新訳で読んでみたい。多少読み比べたいと思い、書店へ買いに行った。
ネットでだいたいのあたりをつけ、店頭で手に取ったのは新潮文庫と岩波文庫、光文社文庫。そのうちから結局岩波か光文社にしようと決めたが、上下巻が揃っていたのは岩波文庫だけで、光文社文庫は下巻しかない。しょうがないので、岩波の下巻と光文社の下巻の書き出しを読み比べてみたら、圧倒的に光文社の方がカジュアルで読みやすかった。が、下巻しかない。
ほかで探すか、どうしようかと考え、結局岩波文庫(河島弘美さん翻訳)を買った。光文社版は再度読み直すときにとっておくことにする。
というわけで、買っただけで、まだ読んでいない。新訳で40年前の読書体験とどのくらいイメージが変わるか、読むのが楽しみです。

話が横道に逸れるが、『本格小説』を読んだ当時、友人から「嵐が丘と言えば」といって紹介されたのが、これ。おお! この歌は知っているけれど、タイトルが「嵐が丘」だとは知らなかった。すごいです、ケイト・ブッシュ。一度見始めると途中で目が離せなくなりますので、ご注意を。


後日に続きます。
by shino_moon | 2013-12-11 23:18 | | Comments(0)


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