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能登・金沢旅行3

3日目の朝、日航ホテルで朝食を戴いたあと、夫が突然白川郷へ行きたいと言い出した。今夕の飛行機で東京へ帰るというのに。

そんなことが可能かとホテルのコンシェルジュに尋ねたら、その場でパソコンを叩いてくれて、即座に答えが出た。不可能だという。でも、尋ねたのが1時間前だったら、白川郷行きの観光バスに搭乗できて、現地に3時間滞在し、再びバスで金沢へ戻り、すぐに小松空港行きのバスに乗れば、夕方の飛行機に間に合ったらしい。

1日で金沢から白川郷へ行き、さらに東京へ帰ることもできるということが分かった。高級ホテルのコンシェルジュは、やっぱりすごい。夫の行き当たりばったりな思いつきに腹が立つことがなくなったのは、ひとえに慣れたからである。こういうのは性格だから変えられないし、私ひとりではまず思いつかないので、けっこう楽しい。

というわけで、当初からの計画通り、この日は大野港の方へ行くことにした。この地はもともと醤油作りが盛んで、野田、龍野と並ぶ産地だったそうだ。港なので灯台もある。はじめは五木寛之の小説でおなじみの内灘の方へ行こうかと思っていたのだが、内灘は夕景が良いそうで、昼間に行ってもしょうがなさそうなので、大野にした。

まずはバスで、大野港へ行く途上にある「銭屋五兵衛記念館」へ。銭屋五兵衛は加賀藩の御用商人で、海運業によって栄えた豪商だったが、外国との密貿易が江戸幕府にばれ、一族は投獄・処刑、財産は没収され、家名は断絶となった。幕府が開国を決するわずか2年前だったそうだ。献上金と引き替えに密貿易を黙認していたらしい加賀藩にとっては、銭五一族に罪を被せるという苦渋の決断だったのかもしれないが、痛ましいことである。

でも、かつては悪徳商人と言われた銭五も、現在は先見の明をもった先駆者という評価に変わってきているそうである。あたりまえのことだけれど、歴史は強者の視点でつくられている。生きて反論のできる環境の中にいるのならば他人の評価なんて気にしなくても良いと思うが、汚名ならば雪がれて欲しいと思う。とはいえ、「悪」の基準は時代の移り変わりとともに大きく変化する一方、一個人の人間的な魅力は、歴史の解釈がどう変わろうとも、結局推し量ることしかできない。そして、そこにより興味を覚える私のような種類の人間は、絶対に歴史家にはなれない、と思うのであった。

そんなことはどうでもよろしい。次へ行こう。銭五の館から大野港までは再びバスなのだが、本数が1時間に1本くらいしかないので、タクシーを呼んでもらい、江戸末期の科学者大野弁吉を紹介している「大野からくり記念館」へ。そこから灯台を経て、醤油蔵の並ぶ街並みまで、醤油の匂いのなかをてくてくと歩く。
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実家近くの龍野も醤油の産地なので、なんとなく懐かしい。
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かわいい看板が掛かっている醤油製造所。
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醤油アイスという幟があったので、食べてみた。不味いはずはない、と思ったが、甘じょっぱくて、醤油の匂いがして、やはり美味しかった。

ゆっくり歩いて1時間。最寄りのバス停でバスを待つ。停留所は船溜まりの真ん前で、漁船がたくさん停まっている。
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1時間に1本のバスが見えてきた。マニアックな観光はこれで終わり。われわれはすっかり遅くなった昼食を食べるために、そのバスで香林坊に向かった。
by shino_moon | 2014-08-14 15:40 | | Comments(0)


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