この企画を忘れていたわけではないのだが、昔住んでいた場所というのはふいっと散歩で行ける場所ではないことが多く、「そうだ、行ってみよう」というちょっとした決心を必要とする。
前回姫路を歩いたのが去年の正月。今回は杉並区の善福寺を歩いてきた。じつは去年の初秋頃に市川市を歩いたのだが、ぎっくり腰をやったり、なんだかんだで、そのうちに、と思っているうちに、アップしないまま時が過ぎてしまった。まずは記憶もフレッシュな善福寺を書き、そのあとゆっくりと市川を書こうと思う。
善福寺には1991年の春から1993年の2月まで、約2年住んだ。それまで7年住んだ下井草の古い下宿を出て、新築だったアパートに移ったのだ。当時はバブルのまっただ中で、杉並区の賃貸料は高かった。荻窪からバスで10分あまり、ロフト付きの狭いワンルームに、小さなキッチンとユニットバスがついて75000円くらいだっただろうか。洗濯機の専用スペースがなく、玄関のそばに二槽式をおいて、キッチンから水をとっていた。ベランダもないので洗濯物が干せず、アパートの1階にあった乾燥機を使って乾かした。熱量が弱かったのかなかなか乾かず、6時間回し続けたこともあった。1回2時間の使用料がいくらだったか、全く覚えていない。新築はうれしかったが、狭いのと不便なのとで、結局2年しか住まなかった。
今回行ってみたら私の住んだアパートは影も形もなく、隣にあった大家さんのお宅もなくなって、跡地にきれいな一軒家が3軒建っていた。
向かい側の空き地もマンションになっている。ここを離れて20年あまり。築何年であのアパートがなくなったのかわからないけれど、たぶん、バブルがはじけ、時代が移って、狭いワンルームのアパートに住もうと思う人が減ったのだろうと想像できる。
住宅地から青梅街道に出たところにあったケンタッキーとロイヤルホストはいまだ健在だった。ここに住んでいた頃は独身だったので、この2店にはよくお世話になった。写真を撮っていないが、少し離れたところにあるレッドロブスターもまだあった。
出かけたのが夕方だったので、再びバスに乗って荻窪駅に戻った頃には、すっかり暗くなってしまった。
タウンセブン。1階にある花屋さんは今でもあった。
駅前はすっかり変わってしまったが、ぐるっと裏に回ってみると、「はなや」というラーメン屋がある。このラーメン屋は、1984年に私が下井草に住み始めた頃にはもうここにあったから、かれこれ30年以上も同じところで営業している。
荻窪ルミネも、都内のルミネの中では老舗で、30年前からずっと華やかに駅前を照らしている。
荻窪駅。通勤に使っていた地下鉄丸ノ内線の自動改札はすっかりきれいになっていたが、当時の面影はそのまま残っていて、なつかしい。