先週、友人から『大魔神』3部作のブルーレイ(DVD含む)を借りたので、さっそく視聴。1966年制作の『大魔神』シリーズは、世代としてはドンピシャなのだが、特撮映画を観にゆくという習慣が当時の我が家になく、まだ観たことがなかった。
『大魔神』3部作は大映京都製作で、時代劇の手練れである安田公義、三隅研次、森一生が監督をしているので、特撮でありながら大映時代劇の醍醐味も味わえる。
ストーリーはすべて独立していて、続き物ではない。そんなに日本のあちこちに大魔神がいたのか、とあえて突っ込まずに言うと、戦国時代、それぞれの土地で信仰されていた守護神が、悪政に苦しむ人々の祈りによってよみがえる、という設定で、「大魔神」は祈りの具象化というわけだ。
とはいえ、それぞれに顕著な特徴が出ていて、大映ファンには楽しめるシリーズになっている。
安田公義の『大魔神』は、観客がよく知っている大映時代劇の中に特撮を織り込んでみました、というつくりで、お話は零落した殿様姫様の復讐譚。安定した娯楽時代劇として、大映ファンなら大いに楽しめる。
三隅研次の『大魔神怒る』は、時代劇より特撮映画としての味が勝っている。しかも、『十戒』の海が割れるシーンが登場したり、鐘が鳴り渡るラストシーンだったり、洋画っぽさを取り入れているので、時代劇としてはちょっと不思議な出来だ。ちゃちな特撮のなかで火あぶりになる藤村志保がムダに色っぽい。
森一生の『大魔神逆襲』は、森が「男女の話にしたくない」と言って子どもが主人公になったという、少年たちの冒険譚。なつかしい「NHK少年ドラマシリーズ」と同じ匂いがする。そして、子どもが主人公の本作がもっとも、特撮映画としての「大魔神」の主旨にかなっている、という気がした。雪の神として登場する大魔神の頭や肩に雪が積もっていたりするところが妙にリアルで、特撮の稚拙さをカバーしてあまりある詩情を感じたり。ちょっと褒めすぎ。
何度もリメイクが計画されたそうだが、設定の上でお話を「時代劇」にせざるを得ず、プロットに変化を付けにくいという理由で、結局リメイクされていないらしい。ゴジラやガメラが何度もリメイクされていることを考えると残念ではある。考古学とか歴史学とかを絡めたら、現代の東京に大魔神が出てくるための設定をつくれそうな気もするが、大魔神のヴィジュアルと現代の都市をどうマッチングさせるかをよほど考えないと、「大スベリ」しそうな危険な匂いもするなあ、たしかに。