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こちらあみ子(2022年)

11月公開の新作『ルート29』の森井勇祐監督の前作。ずっと気になっていてまだ観ていない映画だったので、配信で鑑賞。

これが、素晴らしかった。

今だと「発達障害」と診断されるのだろうか。ほかの子どもとは大きく違うあみ子の言動や意識を、「音」の設計と「フレーム」による視界の設定で、驚くほど鮮明に表現している。

例えば、あみ子が「幽霊」だと言い張るベランダの音の使い方。その正体を見せるときの、フレームの絵面から外れている「右側の部分」への不安と、そこへカメラが寄ってゆくときのサスペンス。あみ子が寝そべって天井に投げ上げるみかんの、三つ目(四つ目だったか)がいつまでたっても落ちてこないカットの不思議。

ただひとり、あみ子を気にかけてちょっかいをかけてくる丸坊主の少年との、切り返しで見せる会話。あみ子の会話が唯一成立しているシーンに、少し目頭が熱くなる。「私のどこが気持ちわるいん?」と問うあみ子に返す少年の答えも素晴らしく、少年が去って行く姿は凜々しい。

あみ子の家族は壊れてゆくのだけれど、それはあみ子のせいではない。自壊してゆくのだ。

両親(井浦新と尾野真千子)、ことに母親の描かれ方にどこか恐怖を感じる幼さと違和感を覚えるのは、あみ子の目に映る母親像だからなのか。母親のほくろが気になるあみ子。幼児のように泣き叫ぶ母親に驚くあみ子。髪を振り乱して伏せる母親の傍らでかまわず母親に話しかけるあみ子。

ラストシーンの素晴らしさに触れたい。

父親にも捨てられ、祖母の家に預けられたあみ子は、早朝ひとり、海へ出かけてゆく。海を見渡すショットの左上に映り込む「何か」、近づいてきた「それ」とあみ子との、対峙と別離。それまで無音だった風景に波音が帰ってきて、フレームの外から聞こえる誰かの声。「まだ海は冷たいじゃろう」。あみ子は答える。「大丈夫じゃ」

「何か」は何だったのか。声をかけたのは誰だったのか。あみ子に聞こえた「世界」の声。あみ子に寄り添うカメラの力。

タイトルバックのキャスト欄にすてきな発見が。あみ子役の大沢一菜の名前のそばに描かれていたトランシーバーの片割れが、監督の森井勇佑の名前のそばにあった。じーん。。。

これが初監督というのがすごい。『ルート29』が楽しみだ。

監督:森井勇佑
出演:大沢一菜、井浦新、尾野真千子 ほか

※少し前に観た佐藤真のふたつのドキュメンタリー『まひるのほし』と『花子』を思い出す。ありていに言ってしまえば、あみ子に必要なのは、家族を支える「福祉」の介入だ。あみ子は両親を選べない。でもそれは、この物語とは別の話。

※今村夏子の原作を読もうと思い、ただいま図書館に貸し出しを申請中。原作も好評なので、こちらも楽しみだ。


# by shino_moon | 2024-09-11 16:42 | 映画(カ行) | Comments(0)

エフィ・ブリースト(1974年)

渋谷のBunkamuraル・シネマ渋谷宮下で開催中の「ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー傑作選」にて鑑賞。

鏡を駆使した「構図」の映画。19世紀のドイツの作家テオドール・フォンターネの同名小説を映画化した文芸作品で、おそらく原作の文体を生かしたのであろう文学的なセリフをかみ砕きながら観るめんどくささはあれど、モノクロの美しいショットの連続に陶然となる。

自由闊達な貴族の娘エフィ(ハンナ・シグラ)は17歳で38歳のインシュテッテン男爵(ウォルフガング・シェンク)に嫁ぐが、19世紀の家父長制度のなかで、夫の無意識の支配に違和感と息苦しさを覚え、夫の友人クランパスと不倫をしてしまう。妻の浮気を知ったインシュテッテンはクランパスに決闘を申し込み、家庭にも社会にも居場所をなくしたエフィは、諦めながら破滅してゆく。

ストーリーはいたってシンプル。「支配」とは男のプライドを守るための「教育」のことだと言い換えるクランパスの思想は、この時代にはまだ早かった。

監督:ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー
出演:ハンナ・シグラ、ウォルフガング・シェンク、ウリ・ロンメル、カールハインツ・ベーム ほか

# by shino_moon | 2024-09-10 16:37 | 映画(ア行) | Comments(0)

ロビンソナーダ 私の英国人の祖父(1986年)

ユーロスペースの「ジョージア映画祭2024」で鑑賞。1987年度カンヌ国際映画祭新人監督賞受賞作品。

1918年にロシアから独立したジョージア。ロンドンからインドのデリーまで引かれた電線がジョージア国内を通っていたことから、その点検のために派遣されたイギリス人電信技師のクリストファーは、ジョージアの村娘アンナと恋に落ちる。

1921年、ボルシェビキの侵攻によりジョージアの土地は国営となり、ジョージア国内のイギリス人に帰国命令が出るが、その命令はクリストファーの元には届かなかった。

村の革命家たちに追放されそうになっても、国からの命令が届いていないクリストファーは信じなかった。そして、国外追放を拒否し、電柱の周囲3ヤードはイギリス領だと主張してテントを張り、ベッドを設置し、ロバを買って移動するという生活を始める。

クリストファーの奇想天外な闘いを、恋人のアンナが追想する過去と、孫の作曲家の現代の語りをつなぎながら、自由自在に時間を行き来して描いた作品。ばかばかしいほどの奇想とユーモアを包み込むジョージアの風景と大らかな人間像が大好きだ。

「ロビンソナーダ」というのは、クリストファーの境遇を「ロビンソン・クルーソー」になぞらえた命名で、クリストファーの孫が作曲した交響曲名でもある。ちなみにロバの名前は「フライデー」。なるほど、シャレが効いている。

ユーモアと懐かしさと。軽やかにジョージア史にアクセスする寓話。

監督:ナナ・ジョルジャゼ
出演:ジャンリ・ロラシヴィリ、ニネリ・チャンクヴェタゼ、グラム・ピルツハラヴァ、エルグジャ・ブルトゥリ、ティオ・エリオシゼ ほか

# by shino_moon | 2024-09-09 16:34 | 映画(ラ行) | Comments(0)

至福のレストラン 三つ星トロワグロ(2023年)

シネスイッチ銀座で鑑賞。

朝10時に劇場に入り、出たのは14時過ぎ。4時間の長尺はワイズマンではふつうだけれど、その間なにも口にできず、空腹に耐えながら、絶品のフランス料理を見せられ続けるという状況に悶絶した。

とはいえ、その4時間をまったく飽きずに画面を観ていられるのはやっぱりすごい。どうしてなんだろうと考えながらスクリーンを観ていたが、大きな要素は「編集」なのだと思った。

料理人の顔のアップ、手元、食材、出来上がった料理、それぞれのカットの順番と引っ張り具合、バランスの良さ。その合間に(これもいつものワイズマン風味だが)がっつり時間をとった人間の対話のシーン、従業員たちが店で来客をもてなすシーン、屋外で牛を見たり山羊を見たり野菜を仕入れたり、つまり食材を探しにいく旅のシーンが挿入される。

ワイズマンはこれまで、病院や学校や図書館や市役所など、公共の場所に特化してそこで起こるさまざまなできごとや対話をドキュメンタリーにしてきた。「公共」の場所での対話には、社会の裏面が見えてくる面白さがあった。この映画の「ある老舗フレンチレストラン」には公共性はないけれど、食材の豊かさや色合いに加えて、「つくること」の過程を見る楽しさ、料理そのものが人間の内面を垣間見せる瞬間の面白さがある。

そして、このレストランが、55年間もミシュランで三つ星を守っている秘密は、従業員たちが話し合いを欠かさない「コミュニケーション」と、その根底にある「この店で働いているという誇り」にあるのだということが、よく分かる映画でもある。

それにしても、息子二人も料理人に育てたこの店のオーナーシェフは、相手が常連客とはいえ、相当な話し好きだ。ワイズマンの映画に出てくる人物にはあまり感じたことのない「人間くささ」を、今回初めて感じたかもしれない。

ワイズマン94歳。衰えを感じない芳醇な映画に仕上がっている。

監督:フレデリック・ワイズマン


# by shino_moon | 2024-09-04 16:28 | 映画(サ行) | Comments(0)

インタビュアー(1978年)

渋谷の「ジョージア映画祭」にて鑑賞。ラナ・ゴゴベリゼ監督。

ソフィコはさまざまな女性にインタビューして女性の日常や直面する問題などを記事にする新聞記者。仕事を愛する溌剌とした女性だが、家庭との両立に悩んでいて、夫は仕事に没頭する彼女に不満を持っている。そんなある日、ソフィコは夫の不倫を知る。

ソフィコ自身のみならず、インタビューされる女性たちから見えてくる社会が投影された、ジョージア初のフェミニズム映画だそうだが、日本の感覚では、現代の話だと言われてもまったく違和感がなく、これがほぼ50年前の作品だと思うと、ジョージアへの印象がくるんとひっくり返ったような驚きがある。

家庭でのソフィコはエプロンをして妻らしさを懸命に果たそうとしているのだが、夫の客と一緒に歌い始めたりするところで、ジョージアっぽい軽さや明るさが発動される。仕事にも家庭にも疲れたソフィコが、コンビを組んでいるカメラマンの自宅を訪ねてそこで眠ってしまったりするシーンの、ちょっと不条理な、情動から距離を置いた不思議な描写に、なぜだかこちらが癒やされたり。

娘との長い別離期間(理由や状況は描かれていない)を終えて帰ってきたソフィコの母親をソフィコが迎える、というシーンが繰り返し描かれている。これが、10年の流刑を受けた母ヌツァとの再会を暗示していることはすぐに分かったけれど、前知識ナシに観たら、意味が分からなかったかも知れない。何の説明もされていないのは、検閲を逃れるためなのだろう。

ソフィコの娘役で、ラナの娘のサロメが出演している。

監督:ラナ・ゴゴベリゼ
出演:ソフィコ・チアウレリ、ギア・バドリゼ、ケテヴァン・オラヘラシヴィリ、ジャンリ・ロラシヴィリ、レヴァン・アバシゼ、ヌツァ・アレクシ=メスヒシヴィリ ほか


# by shino_moon | 2024-09-04 16:24 | 映画(ア行) | Comments(0)