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眠狂四郎 無頼剣(1966年)

先日、ハワード・ホークスの『赤い河』を観ながら、「ホークスって、日本でいうと三隅研次かな」とふと思った。
ふたりとも映画会社の雇われ監督で、職人的に娯楽性の強いプログラムピクチャーをつくりながら、その枠組みの中で作家性を発揮した。と、いうようなところが似ていると思う。異論はあるかもしれないけれど。

一時期、市川雷蔵の「眠狂四郎シリーズ」を集中して観ていたことがある。雷蔵のファンだったこともあるが、あのころの映画の「とことん簡潔」であることに痺れたのだと思う。
広野に伸びる一本道を、黒の着流し姿の狂四郎がこちらに向かって歩いてくる。シネスコの幅いっぱいを利用したロングショットがとらえるその姿を観ているだけで至福を覚え、一方でザワザワとした胸騒ぎを覚える一瞬。それだけで映画が成立するという驚き。

このシリーズの何本かを三隅研次が撮っているのだけれど、なかでも、天知茂を敵役に迎えた『眠狂四郎 無頼剣』(1966年)は傑作だと、いまでも思う。
天地茂といえば「ニヒル」の代名詞のような人で、テレビの「江戸川乱歩シリーズ」でのクセの強い「明智小五郎」役が当たり役だった。この映画では、幕府に不満を抱いているが、心底悪人ではないテロリスト・愛染役を演じている。

幕府への見せしめに江戸の街を火の海にしようとする愛染一味と、彼らを追い、止めようとする狂四郎。ラストの屋根の上での狂四郎と愛染の一騎打ちは、簡潔だけれどもすばらしいシーンだ。

三隅監督は、チャンバラの首尾(つまり、狂四郎が斬って捨てる敵の姿や、彼らが屋根から落ちるスペクタクル)ではなく、屋根瓦を噛む狂四郎の裸足の指、愛染が子供に渡そうと隠し持つ玩具が懐からはみ出しているところを撮る。ここでは、スペクタクルよりもディテールが重視され、2人の対決は非常にあっさりと描かれる。
けれども、そうしたディテールにこそ、人物は宿る。屋根瓦を噛む裸足は、狂四郎の凄まじいエネルギーであり、愛染の手からこぼれて屋根を滑り落ちる玩具は、愛染の無念だ。その玩具を屋根の下で受け止めようと手を差し伸ばす藤村志保もまた、数多の零れゆくものをフィルムに収めようとする人のように、美しい。

スペクタクルよりもディテール、というのは、私の映画に対する究極の好みだ。なんとなく、俳句にも元来そういうところがあるような気がして、だから私は俳句にはまったのだろうか、なんて余計なことを考えてしまう。

監督:三隅研次 
原作:柴田錬三郎
出演:市川雷蔵、天知茂、藤村志保、工藤堅太郎、島田竜三、遠藤辰雄
by shino_moon | 2009-07-07 21:03 | 映画(ナ行) | Comments(0)


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