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モーダルな一日(その2:美術館)

目的地へ着くまでにすっかり満ち足りてしまったのは想定外だった。いやいや、それはちがうでしょ、と首を横に振りつつ「魔愁」を出て、美術館方面へ歩き始める。

美術館までの道はやや上り坂で、右手に広がる高台には感じの良い住宅街が広がっている。どの家もそれなりに大きな一戸建てで、日当たりが良く、手入れするのにちょうどいいくらいの広さの庭と駐車スペースがある。東京では望むべくもないクオリティだ。ここらあたりが、急行停車駅まで歩いて10分以内、名古屋までだって1時間ちょっとなのである。こんなに広くなくてもいいけど、余生はコンクリートの1室ではなく、できればこういうところに住みたい、と本気で思う。

それにしても、こちらへ来てわずか3ヶ月足らずだというのに、この馴染みようは何だろうか。夫に至っては、東京へ行くのが面倒だといってほとんど四日市を動かない。ふたりとも、好きこのんで地方から東京へ出た人間だというのに……。

と、ついつい内省しているうちに、三重県立美術館に着いた。「イケムラレイコ」という画家の企画展をやっているので、チケット売り場でそのチケットを買う。これ1枚で美術館のなかはどこへでも行けるらしい。中へ入ると、右手の奥に部屋がある。左手には廊下が延びていて……突き当たりが見えないほど遠い。正面の奥にも奥行きのある部屋があり、さらに2階にも展示室がある。なんという広さ。上野の西洋美術館だって本当は広いのだろうが、人の多さにごまかされてしまうのか、建物の広さまで意識が向いたことがなかった。
あまりの広さに仰天し、思わずすぐ脇にあったカウンターにチケットを差し出したら、そこは切符をもぎるところではなくて受付だった。が、ありがたいことに受付の女性は私の慌てようを典雅にスルーし、どの部屋でなにをやっているのかを丁寧に教えてくれた。そして最後に「どうぞごゆっくり」と言い添えた。

美術館のなかを歩きつつ、「どうぞごゆっくり」ということばがあまりに似つかわしくて、身に沁みてきた。疲れないのは、人が少ないことと、至るところに椅子がしつらえてるからだけれど、なにより「イケムラレイコ」の絵と相性が良かったことが大きい。
この人の絵は、たとえば人と山、人と地平線、人と動物などを組み合わせて、というよりは、融合寸前のような状態を描く。あ、未分化と言えばいいのか。それは彫刻になるとさらに顕著で、でも、訳が分からないのではなくて、受け入れる人間の中にはどんどん入ってくる感じ。
詳しくはこちらへ。→

写真も数点あったのだが、写真はほぼ絵画の解題。あ、そういうことなのか。なにをやっても一流、という人がいるが、「一流」というのが何なのかはよく分からない。でも、この人はそういうのとは画然とちがって、なにを手がけても「この人」だというのがすごいところではなかろうか。アーティストっていうのは、そういう人のことを言うのだと思う。

というようなゴタクはどうでもよくて、「イケムラレイコ」という画家は、私のなかにしっかりインプットされたのであります。

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遠い廊下の奥では、「柳原義達」という彫刻家の彫刻がひっそりと置かれていた。そのなかでは「犬の唄」と題された女の像が圧巻。身体を少し上向きに傾けているのだが、この姿勢は「モーダル」とかそういうものには全く縁のない、けれど、無気力なのではなく、なにかに抵抗しているような迫力があって、なかなか目が離せない。
でも、なにげない鳩の彫刻もいいな、などと思いながら突き当たりまで歩くと、そこは風景が望める明るい空間になっている。ここの椅子にぼうっと座って、外を眺めることしばし。気がつくとゆうに2時間が経っていた。

(つづく)
by shino_moon | 2011-11-18 11:51 | 展覧会 | Comments(0)


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