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読書日記(後)

・『色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年』  村上春樹
最近あまりAmazonで本を買わなくなった。3日に1度は買い物に行くスーパーの上階に書店が入っているからだ。しかもその書店は東京の大型書店に負けないくらい大きく、単行本と文庫、雑誌、マンガの品揃えは申し分ない。書店に行くことで、知らなかった作家の名前もずいぶん覚えた。

Amazonだと欲しい本だけピンポイントに買えるし、Amazonがメールで送ってくる情報は、自分が購入した本からの派生情報なので、新しい情報に触れることは案外少ない。その点、書店に行くと、ずらっと一度に目に飛び込んでくる情報量が全然違う。電子辞書より紙の辞典の方が面白い、というのと同じ法則である。

というか、私の情報取捨選択能力がとことんアナログなのだと思う。デジタルからの情報は、その量が多すぎてほとんど捨てているのが実情なのだ。

と、前置きが長くなってしまったが、発売日にスーパーに買い物に行ったので、買った。もちろん、予約も行列もしなくても、悠々買える。初版は50万部である。

村上春樹は、書く前からベストセラーになることが判っている小説を書く。何を書いても売れるわけだが、何を書いても許されるわけではない。村上春樹の置かれている状況だけで彼を毛嫌いする批評家もいる。それでも書くというモチベーションを保つことは、とても強い心を必要とするだろう。ノーベル賞も期待されている。もしかしたら、いま、日本で一番厳しい状況で小説を書いている作家かもしれない。

今回の小説は、『1Q84』よりはふつうに楽しめた、と思う。主人公の多崎つくるは、読者の誰もが理解することができるような動機を持ち、行動する。苗字に色の名前が入っている4人の親友。突然彼らから絶交され、傷ついて自殺まで考えた若き日。中年になったつくるは、その理由を確かめるために4人を探し、訪ねることを決意する。

村上春樹の読者にストーリーを楽しみたいタイプの人はいないと思うが、この小説のストーリーはこれがすべてである。そして、ストーリーの「収束」を目指した、という点では『1Q84』の方が上かもしれない。判りやすいだけに、仕掛けて収拾しないエピソードがあるのが目立ってしまう恨みは残る。もしかしたら、そのサイドエピソードで別の小説を書くのかもしれない。

私は、つくるの過去エピソードの中に登場する「灰田」という男の父親が温泉で出会った「緑川」というジャズ・ピアニストとの玄妙なエピソードが好きだった。緑川が語る「死期」の話や、緑川がピアノを弾くときにピアノの上に置く「小さな布の袋」は、小説全体の中ではほんの小話に過ぎないのだけれど、主人公にとっても、読者にとっても、小さな棘のように引っかかり続ける。とくに布の袋の「中身」については、のちのちのエピソードに繋がってゆき、その奇想天外な連想には心惹かれた。

「物語」はこういうところに存在するのだと、そして、もしかしたら村上春樹はそこにこだわり続けているのかもしれないと、思う。なにより、村上春樹の小説ほど、主人公が変なことを呟く小説はほかにはないし、エピソードの玄妙さも特別だ。それだけでも、私は充分に楽しめる。


・『向田邦子との二十年』  久世光彦
2月に東京で友人と食事をしたのだが、その場所が赤坂だった。赤坂はTBSの街。そして、久世光彦の番組製作会社「カノックス」があった。

向田邦子さんは、私の永遠の憧れの人である。かつてこの世で一番好きな女性だったし、たぶん、これからも、彼女より好きな女性は現れないだろう。彼女のシナリオ集、エッセイ集、小説集はすべて読んだし、彼女の名前を冠した書物、雑誌も、目についたらいまだに買ってしまう。

この本も、店頭で見つけた次の瞬間には買っていた。読み始めてすぐ、昔一度読んだことに気づいた。別のタイトルで出版されていたのだ。でもかまわない。後半は初読だ。

向田さんが遅刻魔だったこと、おねだり上手だったこと、褒め上手だったこと、言い訳上手だったこと、物真似が上手かったこと、原稿がいつもギリギリだったこと、ひとつのことに長く興味をもつのではなく、興味を持ったことは短時間でものにする事が多かったこと、そのたびに知り合いが増えていたこと、でも、そのことと向田さんが孤独だったことが矛盾しないこと。久世さんは向田さんをこんな風に回顧する。

ああ、やっぱり向田さんは面白い。

向田さんと久世さんのエピソードは、もちろん圧倒的にテレビドラマの製作を介したものが多いのだけれど、それは、私がよくドラマを観ていたころの記憶とリンクする。あの時代の空気、匂いを全身で感じる。当時、面白いドラマはNHKかTBSの製作だった。だから、その匂いは、私の中ではTBSのある赤坂へと直結していたのだ。

もう20年以上前になるが、私はカノックス製作のテレビドラマでシナリオライターとしてデビューした。手直しした完成シナリオをカノックスに持ってゆくと、ちょうどそこにいらした久世さんが「第1稿を読んだよ」と声をかけて下さり、目の前で感想を下さった。天にも昇るような気持ちだった。その内容は今でもはっきりと覚えているが、ここには書かない。ただ、ちょっとした批評の最後に、「向田邦子さんは、こういうのが上手かったよ」とおっしゃった。「向田さん目指して頑張りなさい」とも言われた。それはとうてい無理だ、と思ったけれど、うれしかった。向田さんと久世さんは、私の中では原点のようなひとだったから。

鳴かず飛ばずのままシナリオライターを廃業し、いつのまにか、向田さんが亡くなった歳を越えて生きている。すでに久世さんも亡い。カノックスも、数年前につぶれてしまった。もう向田邦子を読む人もいないかなあ、と思っていたら、いつだったか、以前に勤めていた事務所の若い女の子が『向田邦子全集』を読んでいる、と教えてくれたことがあった。先日、スーパーの上階の書店に向田さんの小説集『男どき女どき』が平積みになっていたのでびっくりし、奥付を見たら「36刷」だった。

赤坂駅前が変貌し、人の流れが変わっても、あのころの赤坂の匂いは、私の中で永遠に消えない。
by shino_moon | 2013-04-17 11:41 | | Comments(5)
Commented by feliza at 2013-04-25 09:42 x
こんにちは。スーパー上階の書店と言うとあそこですね。最近、駅デパートの地下に丸善が入ったのをご存知ですか?また、スーパーを西に行くとTSUTA併設した大型書店もありますし。利用者にとって嬉しいことですが30万ちょっとの都市にこんなに書店があってやっていけるのかといらぬ心配です。
そうですか。『舟を編む』はshino_moonさんにとってはライトノベルなんですね。確かに日頃、本をあまり読まない私でもサクッと読めましたからわかりやすい本なのかもしれませんね。言われてみれば登場人物の描き方が劇画チック?かな。でも辞書、言葉への興味をもたす入門書として面白いと思います。映画も原作のイメージをこわさずになかなかうまく映像化されていたのではないでしょうか。
ただ恋愛部分はちょっと唐突でしたね。

shino_moonさんの読書日記、視点が興味深いです。楽しみにしています。
Commented by feliza at 2013-04-25 09:44 x
TSUTA→TSUTAYAでした。すみません。
Commented by shino_moon at 2013-04-26 10:54
felizaさん、こんにちは。
デパートに丸善が入ったこと、全く知りませんでした!びっくり。
今週末、さっそく偵察してこようと思います。
でも、近鉄のアーケイドにも書店がありますから、あの狭いエリアに書店が3つ、TSUTAYAを入れると4つ。
ほんとうにいらぬ心配をしてしまいますね。とくに、宮脇書店は影響があるだろうなあ。。

『舟を編む』は、題材はとても好きでしたし、お話も面白いのですが、人物の描き方がちょっと物足りなかったのが残念に思いました。
映画はキャストが良いですよね。松田龍平の主人公は、良い味が出ているような気がします。オダギリジョーの同僚も面白そう。
宮崎あおいの妻はちょっとイメージと違う感じがしますが、どうでしょうか?
でも、ほんとにいいキャストですねえ。
Commented by feliza0930 at 2013-04-26 21:32
丸善が近鉄に入ったので、アーケードの書店はなくなりましたよ。
丸善はデパートの地下フロア全部使っています。さすがアカデミックな趣のある書店になっています。

『舟を編む』、松本先生の加藤剛はさすがです。本より人間的な描かれ方かもしれません。オダギリジョー、熱演です。
そうなんです。私も宮崎あおいの配役だけが不満です。童顔の女優なので年取った時は一層、違和感がありました。原作でもそうですが、二人の恋愛~結婚生活がリアリティーがなさすぎですね。
辞書完成にこぎつけるまでの終盤の盛り上がりはスポ根ぽい!地味な映画に勢いを加えて、爽快感(?)がありました。
Commented by shino_moon at 2013-04-27 00:14
>丸善が近鉄に入ったので、アーケードの書店はなくなりましたよ。

ひゃあ!そうだったのですか。
しょっちゅうあのあたりに行っているのに、アーケードの書店の前を通ることがあまりないので、まったく知りませんでした。

『舟を編む』の松本先生は、重要な役回りですよね。
加藤剛はイメージ通りで、きっと合っているだろうと想像できます。
監督の石井裕也にも興味があるので、近いうちに観てこようと思います。


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