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エリ・エリ・レマ・サバクタニ(2006年)

青山真治監督作品。

大してストーリーのないこの映画が観ていて眠くならないのは、結局カメラが素晴らしいからなのだと思う。カメラが、観客の呼吸に抗わない。動きも、速さも。ファーストシーンの横移動。人物を追う速度。ロングショットの美しさ。見ていて飽きない。

感染すると自殺したくなるという〈レミング病〉が世界中に蔓延してしまった近未来の世界。特効薬はなく、発病を防ぐ手立ては、ふたりのミュージシャンが演奏する「音」を聴くことしかないという。探偵(戸田昌宏)を雇い、その情報を得た大富豪(筒井康隆)は、〈レミング病〉に罹ってしまった孫(宮崎あおい)を連れ、件のミュージシャン、ミズイ(浅野忠信)とアスハラ(中原昌也)を訪ねてくる。

ミズイとアスハラが、ホースを振り回したり、野菜を潰したり、弦と弓で音を歪ませたりして「ノイズ」を集める、そのさまを、カメラは長々と撮り続ける。こうした「音」を視覚化するシーンの合間に、ストーリーと呼ぶにはささやかな、印象的なシーンが展開する。

設定はカラックスの『汚れた血』(1986年)を彷彿とさせるが、この映画は、『汚れた血』がそうだったような近未来の寓話にはならない。なぜなら、視覚化された「音」がしばしば画面のどこかしらにあって、それが観客を「いま、ここ」に繋ぎ止めるからだ。

この映画の主役は「音」なのだ。浅野忠信が演奏するクライマックスシーンは10分を超える長尺だが、それでこの映画がバランスを失うことはなく、むしろ主題を圧倒的に画面に刻みつけてすがすがしい。

ドラキュラ伯爵の劣化版のような出で立ちの筒井康隆によって、画面はとても奇妙な違和感で満ちる。アル中医者の川津祐介も、周知の俳優「川津祐介」とは異質の何者かだし、長髪の浅野忠信は心なしかキリストのようにも見える。ペンションの女主人の岡田茉莉子は大女優の貫禄そのものとして凛と立ち、宮崎あおいは、青山作品の中でいつもそうであるように、少し不機嫌で痛々しく、けれども強い。

そうした人物のなかにあって、ラジオ局のエンジニアのような素人っぽい佇まいを持つ中原昌也が面白い。こんな人はその辺にいくらでもいる。けれども、その彼がストーリーの中で担う役回りはなかなかにショッキングで、そのシーンの唐突さには、リアルに驚く。

また、筒井康隆が「東京節」を唄うシーンがあるのだが、それが、なぜかその次に連なるシーンを予感させてしまうところは、青山演出の妙味、これぞ映画のサスペンスだ。

ちなみに、「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」というのは、ヘブライ語で「神よ、汝は何故我を見捨て給うや」という意味。キリストが処刑される直前に言ったとされているそうだ。

監督:青山真治
出演:浅野忠信、宮崎あおい、中原昌也、筒井康隆、戸田昌宏、岡田茉莉子 ほか
by shino_moon | 2013-10-21 15:00 | 映画(ア行) | Comments(2)
Commented by 葉月 at 2013-10-22 11:17 x
>ヘブライ語で
てっきりアラム語だとばかり思っていたのですが、調べたらおっしゃる通りヘブライ語らしいですね。アラム語だと「エロイ、エロイ」になるとか。
Commented by shino_moon at 2013-10-22 18:09
葉月さん、こんにちは。
私の場合、「え! アラム語って何?(@_@;)」
ということで、wikiで調べるところから始めなくちゃなりません(^^;)
何となくしか理解できませんでしたが、勉強になりました。
旧約聖書は、ヘブライ語だけじゃなくてアラム語で書かれた部分もあるんですね。
もしかしたら「エロイ、エロイ」をタイトルにできないから、ヘブライ語表記の方を採用したのかも(^^;)


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