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大鹿村騒動記(2011年)

昨日『リアリズムの宿』の項で、「間」の面白さについて書いたとき、「間」の絶妙さに思わず唸った映画をひとつ思い出した。「塵風月報」に書いた文章を少しいじって転載します。DVDで鑑賞。

阪本順治は男性映画の名手だ。監督初めての女性映画と言われた『顔』(2000年)ですら、内省しないでひたすら逃げ続ける女主人公ではなく、その女が発する強烈なエネルギーに引き寄せられる周囲の男たちの方に「人生」はあった。

『大鹿村騒動記』は、山深い村に起こったある「事件」をめぐるドタバタ群像喜劇だが、やはり、男の心映えがなんとも魅力的な映画である。

鹿料理を食べさせる店(「ディア・イーター」という店名は、おそらく『ディア・ハンター』のもじり)をひとりで切り盛りする善(原田芳雄)のもとに、治(岸辺一徳)と駆け落ちした妻の貴子(大楠道代)が18年ぶりに帰ってくる。治によれば、貴子は認知症を患っていて、ところどころ記憶が消えてしまっているばかりか、物の名前まで忘れてしまったり、何でも口に入れてしまったりして、とても支えきれないので善に返したいという。わだかまりを抱えつつも、善は仕方なく貴子を受け入れ、すぐに立ち去るつもりだった治の方も、引き留められ、後ろ髪を引かれ、結局ずるずると村に居座る。

戻った次の日から、なにごともなかったように貴子は善の店で働き始める。店には、雇われたばかりのアルバイト・雷音(冨浦智嗣)がいた。雷音は男の身体に女の心を持っていることに悩み、知り合いのいないところで生きていきたいと大鹿村に住み始めた青年だ。

善の周囲を含め、村人たちの会話が少しずつずれているのが可笑しい。問いに対して正面から答えることが当たり前の関係では得られない、大いなる隙間。自分のことだけを言い合い、それでなんとなく話が通じているという、鷹揚な空間。

が、大鹿村をなによりもユートピアめいた場所にしているのは、村が300年以上守り続けているという「大鹿歌舞伎」である。貴子の帰還と平行して、歌舞伎の稽古にいそしむ村人たちのシーンが描かれるのだが、その後の、延々15分に及ぶ本番上演シーンは圧巻だ。

上演の前日、駆け落ちした夜のような暴風雨のなかでつかの間記憶を取り戻した貴子は、翌日、歌舞伎の舞台に立ち、立派に役を演じきる。立ち回りをする善に、舞台の袖から「赦してくれなくてもいい」と貴子が呟く、そのときの善の名状しがたい表情の豊かさには、この映画のすべてが収斂されていると言ってもいいだろう。

好きなシーンを3つ上げたい。

ひとつめは、雷音が店の前で客を見送ってカメラが切り替わった途端、郵便配達人の瑛太がバイクで転んでいるシーン。ふたつめは、洗濯機で洗っていた女性用下着を善に見つかってしまい、唐突に打ち明け話を始めた雷音を、善が「ちょっと待って」と遮り、トイレに入って歌舞伎のセリフを諳んじ始めるシーン。もうひとつは、恋人が東京に行って帰ってこない松たか子に向かって「木綿のハンカチーフ」を歌い、その歌詞の意味を教える善に「……ひどい」と言って松たか子が走り去るシーン。

映画の「間」の絶妙さに脱帽した瞬間である。

監督:阪本順治
出演:原田芳雄、大楠道代、岸辺一徳、佐藤浩市、松たか子、冨浦智嗣、瑛太、石橋蓮司
でんでん、三國連太郎 ほか
by shino_moon | 2014-03-27 11:01 | 映画(ア行) | Comments(0)


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