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読書日記・春の部

久しぶりに読書日記。

『増補 書を読んで羊を失う』(鶴ヶ谷真一)
最近、地下鉄で3駅先の下町に好みの古書店を見つけて、そこで買った。タイトル買いだが、とても面白かった。

たんなる書評でも愛読書の解説でもない。あえていえば、テーマに沿って古今東西の書物に取材し、その内容やなかに書かれている人物、作者に言及してゆく。その方法が学術的でも分析的でもなく、鶴ヶ谷さんの好みや趣味で話題が自由自在に広がってゆくところが、とても好きだ。

ちなみに、最初の1編は「枯葉」と題されていて、古書に栞のように挟まれている枯葉が、じつは紙魚を防ぐための古人の智恵だった、と分かる話。ふたつめの「ページのめくり方、東西」では、本のページをめくるとき、日本人は小口をめくる人が多いが、西洋人のほとんどが天をめくるのはどうしてか、という話。

若冲の絵に賛を書いている「売茶翁」のこともこの本で知ったし、書道教室で話題になった良寛の書「天上大風」のこともこの本に書いてあった。

なかでも、寺田寅彦について書かれた1編「丘のうえの洋館」は、またひとつ私に入口を開いてくれた。この文章を読んですぐ、私は、いつか読むつもりで四日市の書店で買った寺田寅彦の『柿の種』を、本棚からごそごそと引きずり出したのである。


『柿の種』(寺田寅彦)
東京帝国大学理学部の教授だった寅彦が、友人の松根東洋城が主宰する俳誌『渋柿』の巻頭に連載した短文を集めた随筆集。

寅彦は今でもファンが多いのでご存じの方はご存じと思うが、この寅彦の随筆が素晴らしい。俳味なんていうスカスカしたものではない。観察から展開される思考は玄妙で、ときに面妖ですらある。そのうえ、ほんのりとさびしい。

『柿の種』冒頭の一文は、日常生活と詩歌の世界を隔てるものを1枚のガラス板になぞらえ、その間を行き来することの必要を、恣に、魅力的に書いているのだが、常人の理解を超える天才のことは、こんなふうに書かれている。「まれに、きわめてまれに、天の焔を取って来てこの境界のガラス板をすっかり溶かしてしまう人がいる。」


『寺田寅彦 妻たちの歳月』(山田一郎)
あげく、こういう本にまで手を伸ばしてしまうのが、私の性癖だとつくづく思う。

でも、この本は、土佐藩の武士だった寅彦の父の時代から書き起こされていて、寅彦とその家族、周囲の人々との関わりを、誰かに肩入れすることなく、事実に即して淡々と書き綴っている。融通無碍な教養人だが、同時に武家のしきたりを大切にする一面もあり、出世頭として一族郎党の面倒もよくみたという寅彦の、休む暇とてなかっただろう生涯を彷彿とさせて、ぐんぐん読ませる。評伝として優れた1冊だった。ちなみに、一族郎党のなかには安岡章太郎と別役実の名前がある。

寅彦は生涯に3人の妻を娶っている。20歳で死んだ幼妻の夏子、31歳で死んだ良妻賢母の寛子の項もじみじみといいけれど、最も興味深いのは3人目の妻の紳(しん)だ。土佐藩の武家の生まれの夏子や寛子と違い、東京下町の商家に生まれた紳は、寅彦や寛子の長男とあまりそりが合わなかった。「悪妻」と伝えられる紳は、「夫や家族を家に置いて芝居や歌舞伎見物に出かけ、ひとりで旅をする」ような人だったらしい。当時としてはめずらしく、個人主義が身についた女性だったようだ。

厳格な武家にとってはいかにも「悪妻」だが、前夫と死別し、ふたりの息子を婚家にとられてひとり出戻った紳には、屈折した気分があったのではなかろうか。たぶん、どこにいっても違和を生じてしまう、女性に従属を強いる時代の空気に合わない人だったのだという気がする。
by shino_moon | 2015-04-28 13:34 | | Comments(0)


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