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ハニーランド 永遠の谷(2019年)

バルカン半島、ギリシャの北に位置する北マケドニアが舞台の映画。旧ユーゴスラビアから分かれた国のひとつで、ギリシャ、アルバニア、ブルガリア、セルビアなどに隣接している。国名から連想するのはアレクサンダー大王の時代に存在した古代マケドニアだ。地理的には古代マケドニアの北半分程度に当たるそうだが、言語はスラブ系のマケドニア語で、ギリシャ語を使っていた古代マケドニアとは言語的には連関していない。そんな地域。

その北マケドニアの山あいにある小さな村で、寝たきりの母親の介護をしながらヨーロッパ最後の自然養蜂を営む女性に、3年間密着撮影してつくられたドキュメンタリーである。とはいえ、ここにはこの親子しか住んでおらず、周囲は峻険な山の連なる地形で、「秘境」といっても言い過ぎではないような場所だ。

養蜂してハチミツを収穫する静かな場所に、ある日、トレーラーを何台か連ね、多くの牛を曳いて、トルコ人の家族がやってくる。トルコ人たちは女性の養蜂を真似て蜂を育て始めるが、より多くのハチミツを収穫しようとして主人公の忠告を無視したために、蜂の生態系が崩れてしまう。

カメラの前で起こることがあまりにドラマティックで、ドキュメンタリーの枠組みを逸脱しそうになるシーンがいくつもあるのだけれど、それが「さほどの問題」とは思えないのは、主人公の女性とその母親の「顔」の存在感が、生活そのものを凝縮していて圧倒的だからだ。水道も電気もない場所で、自然の音に耳を傾け、微細な変化に心を砕きながら忍耐強く生活している人の表情だ。

そんな暮らしに、トルコ人家族のなかのひとりの少年が共鳴して、養蜂の「弟子」になるのだけれど、少年の言葉は両親には響かず、伝染病で牛の半分までも失ってしまった一家は、主人公の生活を攪乱した揚げ句に去ってゆく。

やがて母も亡くなって主人公はひとりぼっちになってしまうが、不思議なことに、不安や心配な気持ちはあまり湧いてこない。彼女は自然のメカニズムを熟知していて、いずれ蜂は戻ってきて蜂の巣も再生することが、暗示されているからだ。「半分はわたしに、半分はあなたに」という、養蜂のための「魔法の言葉」が、彼女を守ってくれるだろうと思えるからだ。

自家製の皿のアンテナでラジオを聞き、夜になると自然の油で灯を灯す。彼女の傍らには犬と猫がいる。家族の形をした「資本主義」に背を向けて成立している暮らしだけれど、彼女の養蜂は、弟子になったトルコ人の少年が、いつかどこかで受け継いでくれるかもしれない。そんなふうにいつの間にか続いてゆくことが、実はいちばん確かなことなのかもしれない。

冒頭で言語のことを書いたのは、この映画の中で使われている言語が複数以上で、字幕がところどころしかついていない、半分以上に字幕がないことに途中で気づいたからだ。にもかかわらず、起こっていること、人物の言っていることがほぼ理解できる。このシンプルさにも、ドキュメンタリーの力を感じた。

監督:リューボ・ステファノフ、タマラ・コテフスカ


by shino_moon | 2020-08-03 11:40 | 映画(ハ行) | Comments(0)


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